山田透さんを偲ぶ
- 2013年11月11日
- 所長ブログ
8月19日の昼近く、もらいたくない突然の悲報が私の携帯を鳴らした。
普段は掛けてこない奥さんからの電話のため、頭をよぎった不安がその後すぐに絶句と絶望に変わるのに多くの時間は要しなかった。
一昨年の5月から癌による闘病生活を余儀なくされていた山田さんだったが、今朝亡くなったとのこと。ちょっと前だが、最近は調子がいいと本人から聞いていた私は一瞬思考停止になり何と答えたか全然憶えてないがともかく安置されている斎場に向かい、物言わぬ、でも穏やかな顔のパジャマ姿の彼と対面したときには何とも言えない喪失感で胸を締め付けられる思いであった。
山田さんとは十数年続く有志の勉強会、支部役員、社労士駿台会など接点が多く、公私にわたる交友と多くの世話になった。
彼と私とはある意味全く正反対の性格だが、何か分かり合えるものがあり、会話がなくても成立する間柄だったように思える。
何でも相談のできる私にとっては希少な存在だっただけに何が困るって、まだまだ相談に乗ってもらいたいことは山ほどあるのに耳で聞こえる言葉で応えてくれないこの喪失感。
なお、彼は先ほど述べた十数人の有志の月1回の勉強会を立ち上げ、その幹事、ファシリテーターとして我々をよく先導してくれ、多くの仲間が感謝している。
加えて、支部の幹事、事務局長、監事と長年に亘って新潟支部のために尽力していただいたことは彼を知らない人も含め、全会員にとっても感謝とねぎらいの対象であるだろう。
ある人がテリー伊藤になぞらえたこともあるが、彼は頑として自説を曲げない一言居士の一面もあった。そのぶれない頑固さが私には彼の魅力の一つでもあった。
一方、家庭では旅行好きで奥さんを大事にしており、我々も見慣れていたがいつもニコニコしていたそうで、優しい男だった。
今日は折しも秋の彼岸。彼はいま彼の岸で何を考え何をしているのだろう。此岸にいる私たちに何か代わってできることはないかなどと取り留めもなく思いを巡らしながら如何ともし難いこの非情な川の広さを寂しさとともに感じている。
平成25年秋
樋口憲一