所長ブログ

関屋分水通水40周年

去る8月10日に地元自治会連合会主催の「関屋分水通水40周年見学会」に参加した。
私は昭和38年まで中央区上大川前に住んでいたが、父が今の前の家を今の場所に新築し、
以来、現在の堀割町に居住している。当時はすすきの原で、タヌキやキツネの出没があったと記憶している。私が中学生のころは当時の新潟競馬場の内周を体育の時間に走ったり、正門から裏門まで馬をよけながら通学したものだった。
昭和39年に着工し、同47年に通水という足かけ9年の大工事であった。
分水に掛った家は競馬場を現在の豊栄に移転させその跡地に移転してもらったものだが、我が家は引っかかるぎりぎりで、したがって家の隣は分水である。高校のころ、最初のショベルカーが土を掘り始めた瞬間や、日々刻々と掘られていく分水を眺めながら生活をしていた。
昭和47年8月10日の通水は東京の大学生だったので見れなかったが、当時の貴重な映写を2時間ほど見させていただいて、懐かしくもあり、また、多くの人の労苦によって今の安心が成り立っていることも再認識し、偉大なる人間の力と多くの人の支えへの感謝を新たにしたものだ。
新潟大堰にある管理事務所にも初めて入って説明を受け、いまどき当たり前だがコンピュータ制御された内部は新鮮なものがあった。
ところで水門脇に「新潟大堰」の銘板が張られた石碑が立っているが、揮毫者の氏名は刻まれていない。
あまりの達筆にしばし息を呑んで見ていたが、田中角栄氏であるとのこと。
書としても秀逸だと思うので、まだ見てない方は是非ご覧あれ!

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